ソレントの駅からは鈍行の列車に乗り18時少し過ぎた頃にポンペイに着いた。18時までの受け付けだけど大目に見てくれた。となりのアメリカ人のグループは大げさに喜んでいた。僕らも嬉しかったのだからあれくらい喜んでも良かった。感情を、特に良い感情をすなおに表現できるのはすばらしいことだ。
広大なはずだ。ポンペイは79年に起きたヴェスヴィオ火山の噴火により埋没した都市で最盛期は2万人の人々が住んでいたそうだ。当時の生活は火砕流により町並みや建物、調度品はもちろん人々や動物までそのまま真空パックのように保存された。遺体は朽ちて空洞となり考古学者はそこに石膏を流し込み亡くなった姿を再現させた。
所々にこうした丸い穴が空いている。これは食堂や居酒屋などが鍋や皿を置いて提供していた後らしい。
現在と変わらないパンやワインも発見されている。トマトは後の時代だからこの時はなかっただろう。奴隷も主人も同じ食べ物を食べていたらしい。豊かな都市だったようだ。
道路は歩道と馬車の通る車道で別れている。車道が低い位置にあるので横断歩道は飛び石状になっている。轍の跡が深くて場所の行き来は大変そうに見えるが、当時はもうすこしなめらかだったのだろうか。
建物の壁は場所によってはきれいな色がそのまま残っている。これも火砕流で閉じ込められたおかげで風化を免れたのだろう。
これは猛犬注意の案内だそうだ。かわいい。今でも通用するデザインだとおもう。
壁にはこういう文字も書かれている。看板の役目をしていたのだろうか。
壁に描かれた絵もきれいに残っている。贅沢な邸宅の基本的な造りはこの頃から変わりない。
街の外れに競技場もあった。こちらは時間切れで中に入ることが出来なかった。遠くに白い月が見える。
ポンペイは19:30くらいまで空いているのだがその中の競技場や有名な邸宅などは早めに閉まる。施設全体の終了まで合わせて欲しい。こちらの競技場もいずれ観たい。旅の宿題にしよう。
夕日に照らされるヴェスヴィオ火山。大噴火の事実はなかったかのような穏やかな山容
以上、急ぎ足で見学して、まだまだ見たりない思いをしながら公園の外へ。外にはガラスの施設があり、そちらにも石膏で復元された遺体がいくつか展示されていた。
そして、こちらはポンペイの野良犬。ポーズは似ているけどさきほどのポンペイで埋もれた犬とは違ってなんだかおだやか。悲しい場面ばかり見てきたので癒やされる
発見時は建物や美術品が往時の鮮やかさで残っていたポンペイ。いまでは風化もすすみいくつかの建物が倒壊したり色あせたりしているそうだ。人の目に触れるとどうしても時間は進んでしまう。止めることは出来ないのだろうな。
さて、ナポリにとりあえず戻ろう。
(つづく)
Thetaで撮影したポンペイの町並み
ポンペイの町並み。道路は車道と歩道が別れていて横断歩道もある #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA